あらすじ
母親を亡くした結城七海と靖明の姉弟は、蔵海津島を統べる名家 水城家に引き取られることになった。
水城家は蔵海津島の金脈を管理し、島の湖の神を奉じる神主の一族である。水城家の現当主 清彦は病床に伏せっており、現在の実質的な支配者は、清彦の弟の晴彦であった。晴彦は水城の血を最も濃く引き継いでおり、その事実は紅い瞳に顕現し、島の全てを把握できる神通力さえ行使できた。
一方、結城家は、蔵海津島の神に仕える巫女の一族である。結城の巫女は、十数年に一度の本祭に際して、淫蕩を好む神を慰めるために、輪姦という神楽舞を神に捧げることを使命とする。
晴彦が結城姉弟を今になって引き取ったのも、姪の七瀬とともに、七海の肉体を供物として神に捧げるためだった。そうとは知らされず島に訪れた七海は、本祭の期日が近づくにつれて昂ぶっていく肉欲と、毎夜夢に見る何者かの視線に不安を募らせていく。
総評 160/200(優)
伝奇風の巫女陵辱物。シナリオは、エロシーンの実用性の高さはもちろんのこと、ストーリー展開も優れている。一枚絵は大胆な構図がとてもエロく、『淫烙の巫女』からの進歩が目覚しい。本作プレイ後は、1月末に早くも年間ベスト級の陵辱ゲーに巡り合えた、という気分になれた。
ただ、無理やりに女を犯す種類の『輪姦』のみを求めて本作を買うと、やや釈然としない気分になるかもしれない。どちらかというと、羞恥プレイ、口淫、精飲等が好きな方に向いている作品なので、そこのところは注意してほしい。
シナリオ 50/60点
エロについて
本作は、輪姦物を謳う作品である。結論からいって、それはまったくの偽りではない。マクロな観点からすると、たった二人の巫女を、島民全員で寄ってたかって嬲りものにするわけだから、これは明らかに輪姦である。パッケージ裏の「淫祭」だの「恥獄絵巻」だのといった煽り文句についても、実際の内容に対して齟齬はない。
しかし、個別のエロシーンのみに着目するなら、本作は必ずしも輪姦に特化しているとはいえない作品である。輪姦の醍醐味は、嫌がる女を大人数で無理矢理に犯すことにある、と考えられる。そうだとすると、本作個別の輪姦シーンにはやや無理矢理感が欠けており、後半のシーンに至っては女の側から求めてしまうので、むしろ単なる乱交であるかのように錯覚されやすいシーンが多い。
そういった意味では、回想登録されるエロシーンとしての輪姦に期待して本作を買うと、何だか微妙な気分になるかもしれない。
本作は、輪姦フェチよりむしろ、羞恥プレイフェチ、口淫・精飲フェチ、アナル・浣腸フェチ、淫臭フェチに向いている作品だ。
本作のエロシーンの趣旨は「巫女をとことん辱めて快楽に堕とす」ことにあるので、羞恥プレイ好きなら楽しめるシチュエーションが多い。巫女は神輿に緊縛されて島中の晒し者にされるし、自ら輪姦されるために島中を歩き回らされ、心にもない恥辱に満ちた口上を人前で語ることを強要される。例えば、七瀬の場合は、
「皆様、私が今回巫女として選ばれた、水城七瀬です。私は、昨日、処女を奪われて、たっぷりオマ○コに射精されて、すっかりおチ○ポ汁の味を覚え込まされました。(中略)本当は、クラスの男子を誘惑して、もっと早く処女喪失したかったんです(以下略)」
などと、学校の生徒達が見ている前で宣言しなければならない。もっとも、これを宣言している間にも、彼女は快楽漬けにされ続けるので、まともに口上を語れるはずもなく、喘ぎ声混じりに宣言するのである。その他にも、本作には衆人環視のシチュエーションが多くあり、また、巫女達は犯されている最中にも恥ずかしい台詞を強要されたりするので、羞恥プレイ好きにとっては堪らないものがある。
犯されるシチュエーションは恥辱に満ちたものばかりだが、そこで行われる性行為は、輪姦・乱交、口淫、精飲、アナル、緊縛等が多い。特に、口淫については非常に秀逸である。テキストが一枚絵を見れば分かることに終始せず、精液や恥垢、ペニスの臭いにも言及していることは、淫臭フェチにとっては好ましい。また、巫女が餌皿に盛られた精液飯を食べさせられたり、ビーカーに集めた精液を飲まされてたりもするから、精飲フェチにもオススメである。
二人の巫女は当然アナルも処女であり、初めてのアナルセックスですぐに感じることなく、非常に痛がってくれるところも良い。浣腸した後の焦らし方も半端ではなく、排泄を堪えながらの性行為はとても痛ましい。浣腸プレイの醍醐味は、女性が排泄欲求を何とか堪えて悶えるところにあると考えられるから、そこにこだわった本作の浣腸プレイは、私にとっては最高に良かった。
ストーリー及びプロットについて
本作のストーリーは「神楽を建前に、全ての島民達が、二人の巫女を寄ってたかって犯しまくる」というシンプルなものだが、その盛り上げ方が素晴らしい。
序盤は主に七海の視点で、島の実態が徐々に明らかになっていく。島民ならば役人であっても逆らうことのできない水城家の権威、その権威を傘にきた水城七瀬の横暴な振る舞い、七瀬の学園支配により無視される孤独、島民達が自分を見る視線の違和感、日頃夢に見る化物の視線の恐怖などを経験するうちに、七海は自分がどんな立場の人間であるか、少しずつ自覚していく。
毎夜の情事もあってか、七海の身体は彼女の意に反して快楽を求めるようになり、それは自分では抑えきれそうにない。伯父の晴彦からは、本祭では巫女として神楽舞を行ってほしいと頼まれ、七海はその意味するところを知らず、しかし承諾には躊躇するけれども、いざ本祭の期日となれば、もう遅い。
本祭開始までの尺を長く取って描かれた序盤は、七海の不安と彼女自身に迫る危機の存在を煽り、その後の陵辱劇の凄惨さを強調することに繋がっている。このような過程があるからこそ、中盤以降の恥辱に満ちたエロシーンの連続も活きてくる。
本祭が始まってからの巫女達に対する陵辱劇は、過酷である。島民達の豹変ぶりが著しく、「下衆」と呼ぶに相応しい彼らの相手をしなければならない巫女達には同情する。私はエロゲーの登場人物にあまり感情移入しない性質なのだが、もし自分がこのような立場にあったなら、後に島民全員を非情な目にあわせたとしても、気が収まらないだろうな、と想像してしまった。
陵辱物は非情であればあるほど宜しい、と考える当方をして、本作は満足できる非情さを表現している。
七海と七瀬には、それぞれ「弟を守るために」とか「晴彦の子供を孕むために」という心の支えがあって、それゆえ陵辱を堪え凌げるのだが、その心の支えを傷つけるような演出がしっかり盛り込まれているのには感心、もといドン引きさせられた。正直、七海に関しては従順すぎてつまらなく感じるところもあったが、その反動として、そういう場面に入ったときの悲惨さがいっそう際立っていた。
グラフィック 70/80点
基本CGは、75枚。ただし、これは画像閲覧に登録されるエロCGのみの枚数である。エロとは関係ないCGを含めるなら、もう数枚程度は多くなる。しかしだからといって、相場並みに枚数があるわけではない。
回想は合計76+1本(うち2本は同じCGの使い回しを含み、1本はエロシーンではない)。その内訳は、七海(25+1)、七瀬(29)、美沙緒(4)、七海+七瀬(18)となっている(※1本を除き、一枚絵上に映っているヒロインが誰かによって分類)。
原画家は『淫烙の巫女』と同じらしいが、一枚絵のエロさはあの作品よりもずっと上だ。一枚絵は全体的に『淫烙の巫女』よりも性器を強調した大胆な構図になっており、表情もだいぶ良くなった。肌の質感も肉感を増し、乳首や小道具の描き込みもやけに生々しくなった。大胆な構図が偏重されているぶん、人体のバランスが犠牲になっている感が強いが、エロさという点ではとても優れた絵だと思う。
不満点は、包茎であるはずのペニスが皮を被っていない、というミスが一部あったこと。また、モザイクがかかる部分については、明らかに手抜きされていることがあげられる。
モザイク修正は並。『淫烙の巫女』と比べると、だいぶ仕事が丁寧になった。
音楽・声優 30/40点
BGMは、少ないながらも、陵辱シーンを盛り上げるのに貢献していた。声優については、美沙緒役の演技が少し気にかかるものの、出番はそれ程多くはない。メインの七海・七瀬については、良い仕事をしていたと思う。
七海 | 御苑生メイ | 七瀬 | 桃井いちご |
美沙緒 | 氷室百合 |
システム 10/20点
『淫烙の巫女』と違って、セーブ&ロードがメッセージウィンドウ横に配置されるようになった。しかし、相変わらずクイックセーブはない。スキップは画面効果をOFFにしても所々引っかかるし、あまり快適な速さではない。
エッチ内容について
作品情報
タイトル | 林間島 |
ブランド | Nomad |
発売日 | 2010年1月29日 |
ダウンロード販売 | DLsite FANZA |
パッケージ通販 | Amazon 駿河屋 |